マスコミは神戸で起きた現象を報道せず、日本人の被災者は冷静だ、という美談を作り上げた。それはちょっと停電しただけでも暴動を起こすアメリカ人よりは冷静だったかもしれないけれども、しかしやはり日本でも略奪はあったことはあった、と自覚しないと、これからの災害のときの備えに悪影響が出るんじゃないだろうか。危機管理戦略を立てるときの想定が甘くなりはしないかしら、とか心配してしまいます。
するとその委員長さんは、「被災地の外から取材に訪れた記者にとって、いろいろ苦しい事情もあるだろう被災した人たちの行動の暗部を報道することは、なかなか出来るものではなかったですよ。こうした災害時の報道の場合、不特定の相手への批判になることは、地域全体を貶めることになりかねないから、難しいんです。」と率直に返答してくださいました。そう伺うと、その大変さもわからないでもなかったから、ぼくはその方の誠意を感じてそれ以上の批判はしませんでしたが、今回の略奪事件を報道しているアメリカのマスコミは、じゃあどういうつもりなのか、日本とどう考えが違うのか、知りたくなりますね。まああれだけの規模では糊塗しようもないけれど。どっちの姿勢を責める気もなく、それぞれ考えがあるんだろうと思います。
こういう社会悪、というとルイジアナの黒人を擁護するように聞こえるのもなんですから言い方を変えると、こういう社会的にかなり広く共有されてしまった不徳義的行為とそれに至る歴史的・心理的背景、を研究することも必要だと思います。差別に対する被害者意識が自らの犯罪を正当化する心理とか、なかなか見据えるのも勇気が要りそうですが。